がんもの朗読日記

がんもどきの日記です。朗読、演劇、映画等、表現に関すること等書いていきます。

短編小説書いてみた。「おじさん探しから始まるデート」

どーも、こんにちは、がんもどきです。

 

オリジナルの短編小説を書いてみました。

演劇の台本やコントは好きで書いていたのですが、小説となると難しいですね。

細かい所感は置いといて、とりあえず読んで頂けたら幸いです。

短いのですぐに読み終えると思います。

 

 

「おじさん探しから始まるデート」

作:がんもどき

 

 今日は、付き合って3年になる恋人リョウコとのデートである。3年以上一緒だと、東京の気になるところはほとんど遊びつくしていた。今では近所の映画館で映画を鑑賞した後、いつものカフェでコーヒーフロートを飲みながら映画について語り合うのが常であった。一見、退屈なデートに見えるかもしれないが、僕たちの中ではこういうデートが等身大で心地よい。

 待ち合わせ場所はいつも同じだ。近所の広い公園のベンチ。そこにいつも座っているおじさんの前に集合。おじさんは50代くらいで、中肉中背。やや猫背。身長はおそらく170前半。おそらくというのは立ち上がっている姿を見たことがないからだ。そして、いつも薄く汚れた白いポロシャツにベージュのチノパン。所持品や臭い、ヒゲの整い具合などからホームレスでないことはわかる。ベンチは公園内に数か所あり、おじさんはいつもどこかのベンチに腰を下ろしている。見つからないときは本当に見つからないが必ずどこかにいる。座る場所が点々と変わることから何か法則性があるのではと考えたことはあるが、どうやらそんなことはないようだ。しかし、リョウコは女の勘が働くのか、すぐにおじさんを見つけられる。

 昼の十二時。今日もデートはおじさんを探すことから始まる。先に見つけたリョウコから場所を教えてもらうのは敗北を認めた感じがするため、絶対にしないと自分でルールを決めている。まずは高確率でいる噴水前のベンチ。いつものようにそこでハトに餌をあげているだろうと思ったが誰もいない。次は噴水から少し離れた自販機横のベンチを見たがそこにもいない。巨大な池沿いをぐるりと回りながら全てのベンチを見たがどこにもいない。僕の頭の中はリョウコよりおじさんを探すことでいっぱいだった。思わず「おじさーん」と呼んでしまった。いや、呼んでも返事をするわけがないだろう。僕はどうかしている。気が狂ってしまったようだ。

 自販機横のベンチに座って途方に暮れていたら、遠くで僕を呼ぶ声が聞こえた。リョウコだ。声は後方数メートルのところ。後を振り向くと道路を挟んだ先の小さな公園でリョウコが手を振っていた。塗装の禿げた遊具の傍にポツンと設置してあるベンチにおじさんが座っていた。

 合流した後はいつものように映画館に行き、予め見ようと約束していた映画を観た。宣伝ばかり気合の入ったもので内容は映画館で見るほどでもない粗末なものだった。主演の女優はどこかのアイドルらしく、ファンには絶大な人気があるらしい。しかし、演技や演出、脚本を重視する我々にとってはどうでもいいことだった。あのシーンがひどかったと笑いながら飲むコーヒーフロートはいつもより3割美味しく感じた。そのためだけに映画を観たと思えば悪い気はしない。

 翌日は仕事で朝早いから夕方過ぎには解散することにした。集合がおじさんの前なら、解散もおじさんの前。礼に始まり礼に終わる日本人なら当然のことだ。帰りのおじさんはリョウコがいたのですぐに見つかった。噴水前のおじさんは憂いに満ちた表情で夕日を見つめていた。僕が帰ろうとした時、知らない若者がおじさんに話しかけていた。僕の嫌いな陽キャの群れだ。どれくらい嫌いかというと、久しぶりに連絡してきたかと思ったらねずみ講の誘いをしてくる同級生の次くらいに嫌いだ。このおじさんに声をかけるなんて頭のおかしいヤツに違いない。しかも、みんな同じような服装に、おそろいのツーブロック、わきに抱えた小さい鞄。僕はおかしな連中と関わりたくないので急いでその場を離れた。

 翌日の夜。仕事帰りに公園に寄った。おじさんはいつものように噴水のベンチに座っていた。星を眺めているようだった。この光景を見るだけでホッとする。こんな日常がいつまでも続くといい。

 

おわり

 

 

いかがでしょうか?

拙い文章ですが、読んで頂きありがとうございます。

ちなみにYouTubeで朗読してみました↓

youtu.be

 

こんな感じで、たまに僕が書いた小説を載せていこうと思います。

ではでは。